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宮道天神社みやじてんじんしゃ

旧東海道宿場町エリア(御油/赤坂) / 神社仏閣
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豪華絢爛♪ 〝歌舞伎の行列″〝雨呼ぶ祭り″過去を紡ぐあなたへ❢"

 みなさん、宮道天神社の祭礼「雨乞いまつり(あまごいまつり)」を知っていますか。毎年8月の第3土・日曜に行われるお祭りで、歌舞伎行列や山車などが旧赤坂宿の街中を練り歩きます。華やかな衣装や化粧で花魁(おいらん)や石川五右衛門などに扮した地元の青年や、遊郭に住む童女に扮した子どもたちの姿は、さながら歌舞伎舞台のよう。江戸の雰囲気を醸(かも)し出します。
 雨乞いまつりの始まりは今から300年くらい前。大干ばつの夏があり、宮道天神社の当時の神官だった金澤惣右衛門が、宮地山の山頂近くにある神社の本殿で百万遍の大念仏を唱えて祈願しました。すると雨雲が湧きあがりあっという間に雨が降り出し、人々はたいへん喜びました。ところが惣右衛門はその大雨に流され、帰らぬ人となったそうです。それ以来、地元の人たちは雨が降った旧暦7月20日を祭礼日と定め、雨乞いまつりを行うようになったといいます。
 行列では、神輿(みこし)の両側で小笹を持った子どもたちが「雨が降っちゃあ そうそうや(雨が早々に降った)」と唱え、神輿を担いだ大人たちが「そうえんどうの大ねんぶつ(惣右衛門殿の大念仏のおかげだ)」と感謝の気持ちで応えます。



  

【ここがオススメ】ホームページやSNSもチェックして
 こんにちは。宮道天神社でお留守番のボランティアをしています、市内在住のパステル画家の浦野です。神社や、神秘的な絵を描くことが好きで、縁あって3年ほど前から宮道天神社の維持や御朱印書きなどをしています。不定期ではありますが、週の半分くらいは神社におりまして、パステル画教室やお茶会などを開いています。
 神社のホームページSNSで情報を発信。伝統をしっかりと引き継ぎながら、現代にあったスタイルも取り入れています。ぜひ、チェックしてみてくださいね。

【誕生STORY】
 宮道天神社の本殿(奥宮)は、宮路山の山頂近く、嶽ヶ城とよばれる場所にあります。拝殿(里宮)は山麓に建っています。伝説では、4世紀前半に日本を支配していたとされる英雄、日本武尊(やまとたける)が東征の時、息子の建貝児王(たけかいこのおおきみ)に宮路山の麓の音羽町を領土として与えたといいます。これが日本武尊の後裔氏族「宮道別(みやじわけ)」の家系の始まりです。その息子の宮道宿禰速麿は県主(あがたぬし)になり、その子孫が建貝児王を祭ったのが宮道天神社の起源です。
 本殿に向かって右側には宮水が湧き出ています。以前より水が滲みていたのは知られていましたが、1985年に宝物殿を増築した際に湧き出したといいます。現在でも、飲み水として汲みに訪れる人々の姿が見られます。



【令和6年 お正月参拝情報】

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参拝:通常通りご参拝可能
12月31日 夕方から、深夜参拝者が途切れるまで(午前2時頃)関係者が待機
1月1日〜3日 午前10時〜午後3時 関係者が待機
参拝はいつでもできます。
甘酒等の接待:甘酒の接待を行います。(31日~午前2時頃)
御朱印:初詣限定の御朱印を頒布(通常サイズ、見開きサイズ 書置きのみ)
パステル画家の浦野美恵子さんの直書きを予約制で実施

以下で確認予約をお願いします。
https://ameblo.jp/emiko0526/entry-12780380973.html

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御朱印巡り

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地元パステル作家のオリジナルカラフル御朱印をいただけます♪

宮路山の麓の音羽町には日本武尊の東征のとき、その皇子の建貝児王(たてがいこのおおきみ:第3子)をこの地に封ぜられたといいます。これが宮道別(みやじわけ)の祖でありその子宮道宿禰速麿は「穂」の県主になり、その子孫が建貝児王を祭ったのが宮路山の山頂と麓にある宮道天神社の起源です。

宮道天神社御朱印

詳細データ

名称 宮道天神社 (みやじてんじんしゃ)
所在地 愛知県豊川市赤坂町宮路1120
交通アクセス 音羽蒲郡ICより5分
名古屋鉄道 名電赤坂駅より 15分
駐車場 あり マイクロバス不可
公式ホームページ https://miyajitenjinjya.wixsite.com/miyajitenjinja
SNS
駐車場あり 御朱印
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