海エリア(御津)
御津神社
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大恩寺
海エリア(御津) / 神社仏閣
家康が何度も訪れたお寺!! 松平家「大きな恩があるんで、この名にしました」
みなさん、御津山のふもとにある「浄土真院大恩寺」を知っていますか?ここはかの徳川家康が、何度も訪れたことがある場所なんです!当時の住職、成誉上人(じょうよしょうにん)は家康の叔父さんで、家康はその叔父に会いに訪れていたそうです。大恩寺には数々の文化財がありますが、なかでも建立350年以上という山門は三間一戸の造りで、幅約7・6㍍、奥行き4・4㍍。大型の2階建ての門、いわゆる重層門で、県内でも珍しいため県指定文化財となっています。
【ここがオススメ】県指定文化財の山門を見て
- こんにちは。住職の中島です。こちらに訪れた際には、やはり歴史ある山門を見てほしいですね。下から山門を見上げるのも良し、山門から御津町の町並みを見下ろすのも良し。さらに境内では四季折々の花木も楽しめます。山門は大恩寺の宝の一つ。これからも、守っていきたいですね。
【誕生STORY】
- 大恩寺の創建については、推古天皇の時代(593~628)、三論宗の布教のために高句麗から訪れていた僧の恵灌(えかん)が、御津山の約2㌔北東に位置する新宮山に「浄光院」を建立したのが始まりとされています。それから約700年後の1444年、浄土宗を広めるためにこの地を訪れた茨城県の「弘経寺」(ぐぎょうじ)の僧侶、了暁(りょうぎょう)が、当時荒れ果ててしまっていた寺を再興。浄土宗大運寺を開きました。
1490年、寺は松平家(のちの徳川家)の4代・松平親忠の援助により御津山の現在地に移され、天文年中(1532~55)には徳川家康の父である8代・広忠によって建物の修復が行われるなど、松平家の手厚い支援を受けました。親忠の息子の超誉上人や、広忠の弟の成誉上人などがこの寺で僧になったことから、松平家にとって大恩があるということで、広忠が寺の名前を大恩寺に改めたといわれています。
1573年の記録では、江戸時代、家康が叔父の成誉上人に会うために、時折大恩寺を参詣していたことが記されています。『広報みと』(1985)などによれば、家康は本尊の宮殿を造り、さらに広石の中で百石を寄進。御津山全山を寺へ贈ったとされています。
その後、当地の領主となった三河牧野氏が先祖代々墓をおき、菩提寺として寺を庇護。1553年に念仏堂(国重要文化財・1994年消失)を造営するなどしました。山門はこの牧野家の娘を妻(正室)にした大垣藩主の戸田氏信によって、1672年に寄進されました。
【令和6年 お正月参拝情報】
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参拝:通常通りご参拝可能
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名称 | 大恩寺 (だいおんじ) |
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所在地 | 愛知県豊川市御津町広石御津山5 |
電話番号 | 0533-75-2325 |
交通アクセス | JR東海道本線「愛知御津駅」下車 徒歩約15分 東名高速「音羽蒲郡IC」より車で約15分 |
問い合わせ先 | 大恩寺 |
御朱印