財賀寺エリア(財賀/平尾)
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財賀寺エリア(財賀/平尾) / 神社仏閣
智恵の仏様〝文殊菩薩″ 定基と力寿の恋愛悲話とつながり!?
みなさん、財賀寺に深くかかわる大江定基と力寿姫の哀しい恋物語を知っていますか?
平安時代、豊川市は、三河全域からなる三河国(みかわのくに)の中心でした。国を守る国司として、京から三河国やってきたのが定基、一方、定基一行を舞や歌でもてなしたのが赤坂の長者の娘で、若く美しい力寿でした。2人は恋に落ち、幸せな日々を過ごしていましたが、力寿が病により亡くなってしまします。定基は悲しみに打ちひしがれ、念持仏の文殊菩薩の夢のお告げにより、財賀寺の峯続きに舌根寺を建て、力寿を弔いました。その後都へ帰りましたが、力寿を忘れることはできず、出家して名を「寂照」と改め、えらいお坊さんになったと伝えられています。
さて時は経ち、江戸時代の中頃、財賀寺の昶如(ちょうにょ)和尚が、定基の言い伝えを後世に残そうと、すでに廃寺となっていた舌根寺参道の入口に力寿碑を建てました。本尊の阿弥陀如来や文殊菩薩は財賀寺に納められ、文殊菩薩は智恵の文殊さまとして信仰を集めています。学業成就や合格祈願で人々が訪れ、毎年3月には智恵文殊まつりでにぎわいます。
※言い伝えには諸説あります。
さて時は経ち、江戸時代の中頃、財賀寺の昶如(ちょうにょ)和尚が、定基の言い伝えを後世に残そうと、すでに廃寺となっていた舌根寺参道の入口に力寿碑を建てました。本尊の阿弥陀如来や文殊菩薩は財賀寺に納められ、文殊菩薩は智恵の文殊さまとして信仰を集めています。学業成就や合格祈願で人々が訪れ、毎年3月には智恵文殊まつりでにぎわいます。
※言い伝えには諸説あります。
【ここがオススメ】2024年に御開帳 マルシェも楽しんで!
- こんにちは。財賀寺住職の西本です。寺は2024年に創設1300年を迎えるため、千手観音ご開帳を伴う盛大な記念法要などが予定されています。ご期待ください。そのご開帳を盛り上げる意味も込め、毎月25日の文殊様の縁日に合わせて、キッチンカーが集まるマルシェや、ダンスなどのパフォーマンス、各種講座などが開催されています。ぜひお出かけください。
【誕生STORY】
- 財賀寺の寺伝によれば、寺は奈良時代の724年に聖武(しょうむ)天皇の詔(みことり)で、僧の行基(ぎょうき)によって開かれました。
聖武天皇が即位したこの年、日本中で地震や疫病、凶作、貴族の反乱などの災いが起こりはじめました。当時、天皇は24歳。「災いの責任は自分にある」と悩み、その救いを仏教に求めました。仏教で国を治めようと考えたのです。その時に天皇の力強い協力者となったのは、民衆からの信頼が絶大だった行基でした。行基が開山したと伝えられる寺は、財賀寺をはじめ、全国に数えきれないほど。東三河にも、普門寺、岩屋観音、長仙寺、長泉寺などがあります。
開山から約100年後の平安時代、衰退しかけていた財賀寺に救いの手を差し伸べたのは僧の弘法大師(空海)です。唐(中国)を訪れて密教を学び、帰国後に「真言宗」を開いた弘法大師は、地方での布教活動や慈善事業などを精力的に行っていました。その中で813年、財賀寺を再興させたと伝えられています。
境内の入り口にある仁王門(国指定)や豪壮な木造金剛力士立像(同)など、文化財も多い財賀寺。境内は自然の宝庫でもあります。春には、珍しい植物「ギンリョウソウ(銀竜草)」が開花するほか、夏には、市指定天然記念物のヒメハルゼミの声が聞けますよ。
【智恵文殊まつり】3月最終日曜日に開催
境内の文殊堂にまつられる「文殊菩薩」は、智恵文殊として有名で、学問成就の願かけに遠近の人達で賑わいます。文殊護摩大祈祷会、稚児行列、献書展、大筆書き大会、スタンプラリー、童謡奉納、仁王様とにらめっこやもち投げなど各種催し物があります。
【令和7年 お正月参拝情報】
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参拝:通常通りご参拝可能
甘酒:あり 12月31日除夜の鐘時
ご朱印:あり 手書き・書置き ¥500
キッチンカー出店:1月1日~3日
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名称 | 財賀寺 (ざいかじ) |
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所在地 | 愛知県豊川市財賀町観音山3 |
電話番号 | 0533-87-3494 |
営業期間 | 年中無休 |
営業時間 | 9:00~17:00 |
定休日 | なし |
利用料金 | 境内無料、内陣拝観料300円 |
交通アクセス | 名鉄国府駅下車車で10分 |
駐車場 | 100台 |
公式ホームページ | http://www.ccnet-ai.ne.jp/zaikaji/ |
SNS |
駐車場あり
トイレあり
御朱印
とよかわクールスタンプラリースポット