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松永寺
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古の英雄と対面♪ “松永寺” “鳥居強右衛門” 勇者の精神に触れて❢
みなさん、長篠合戦(1573年)を知っていますか。三河進出をねらう甲斐(山梨)の武田勝頼と、防衛する徳川・織田連合軍との戦いです。戦いでは徳川・織田連合軍が圧勝。武田氏は滅亡への道をたどり、織田・徳川両氏が強大な勢力となるきっかけとなりました。この戦いにおいて影のヒーローとされているのが、現在の豊川市市田町出身の鳥居強右衛門勝商(とりいすねえもんかつあき)です。
長篠の戦いの2年前、市田町に開創された曹洞宗のお寺「松永寺」敷地の東側には、長篠の合戦で大きな役割を果たした(詳しくは【+STORY】へ)強右衛門生誕地の石碑があります。石碑の目の前にある空き地が、鳥居家の本屋敷でした。また、1914年に豊川町の彫刻師の神谷辰三郎が制作した強右衛門の磔(はりつけ)姿の木像が安置されています。そのほか、墓地の奥には強右衛門夫妻をはじめ、累代のお墓があります。
【ここがオススメ】鳥居強右衛門の木像を自由に
- こんにちは。17世の住職の永田です。鳥居強右衛門の磔の木像がこのお寺にあることを知らない方もいらっしゃるでしょう。木像は弘法堂に安置されており、いつでも自由に入っていただけます。来年は450回忌。長篠城の仲間をまっすぐ見つめる強右衛門の表情をご覧ください。お寺では、地元の小学生が表紙のイラスト(磔の絵)を描いたリーフレットを作りました。ぜひお持ち帰りください。
【+STORY】
- 1575年、徳川領の長篠城は武田軍に包囲され、陥落寸前の状況でした。城主奥平信昌の家来だった強右衛門は、家康に援軍を求める使いとして危険を顧みず、岡崎城に向かいました。家康は早急に救援を出すことを決め、強右衛門にも援軍と一緒に長篠城に帰るようにすすめましたが、少しでも早く仲間を安心させたいと考えた強右衛門はすぐに1人で引き返します。そして城を目前にして武田軍に捕らえられてしまいました。勝頼は降参するよう城内に向かって叫ぶことを命令しましたが、強右衛門は「援軍が来てくれる。あと少しの辛抱を」などと大声で伝えたため、城内の味方が見守る中で磔にされ、命を奪われてしまいます。享年36歳でした。強右衛門の命がけの報告を聞いた城兵たちは城を守り、織田・徳川連合軍を大勝に導いたのでした。
- 強右衛門の働きと最期の姿に感動した敵軍の武士の落合左平次は、その場で強右衛門の磔の姿を描き、その後、それを背旗にして戦場に赴いたといいます。松永寺の木像は、この絵をもとに彫刻されました。
【令和6年 お正月参拝情報】
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参拝:通常通りご参拝可能
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名称 | 松永寺 (しょうえいじ) |
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所在地 | 豊川市市田町中之島57 |