ここはかつて東洋一の兵器工場とも称された豊川海軍工廠があった場所で、昭和20(1945)年8月7日の空襲で二千五百人以上が犠牲となるなど、悲しい歴史を刻んだ場所でもあります。公園内には、歴史の生き証人である海軍工廠の火薬庫や信管置場などの戦争遺跡や海軍工廠の歴史などを紹介する平和交流館があります。この公園を訪れ過去の歴史を学び、平和の尊さについて考えてみませんか。
豊川海軍工廠は、日中戦争から太平洋戦争へと戦局が進む昭和14(1939)年12月15日、全国で6番目の海軍工廠として開庁しました。海軍の航空機や艦船などが装備する機銃とその弾丸を主要な生産品とし、最盛期には5万人以上の人々が働く巨大兵器工場でした。しかし、昭和20年8月7日の空襲で壊滅的な被害を受け、そして終戦により兵器工場としての短い歴史を終えました。戦後、空襲の悲劇は、悲しい出来事として多くの人々の記憶に残り、語り継がれてきました。空襲後の豊川海軍工廠(正門付近)
豊川海軍工廠 平和公園案内